十 組 問屋
十組諸問屋と菱垣廻船 津JII 正幸 ー わが国の江戸時代の海運業の発展についての研究は,江戸ー大阪間に就航し た菱垣・樽両廻船を中心にすすめられ1)近来ようやく北前船の研究成果があい ついで発表されている2)。 前者における従来の研究は,菱垣・樽両廻船の競争 史としてとらえられ,あるいはこれら海運の本質的発展を自己運送から他人運 送への発展として把えるところの,すぐれた研究が発表されているがa), なお 不明の点が多々あることが痛感される。 両廻船のうち,樽廻船については灘酒 造業との関係において,詳細緻密な研究がなされ,さらに共同企業発達の比較 史的研究の観点からの研究がなされているが4)'菱垣廻船については未だそれ 程の研究の深化がない。
幕府は、物価騰貴の原因を十組問屋仲間などの流通独占による不正な価格引上げにあるとみなし、十二年十二月に株仲間や諸組合などの商人の同業組織の解散を命じた。さらに諸大名が、自藩他藩の国産物を買い占めて物価の引上げを図ることをも禁止した。
江戸向け商品を買い継ぎ,菱垣 (ひがき)廻船でこれを積み送る問屋商人によるもので,注文主である江戸問屋の十組 (とくみ)問屋結成に対応して1694年 (元禄7)10組で結成 (大坂表十組問屋)。 18世紀以降の拡大により安永年間には24組の構成が確定した。 当初は内仲間だったが,1784年 (天明4)二十四組江戸積問屋仲間として347株が公認された。 1841年 (天保12)の株仲間解散令により解散したが,これに代わり海損処理を行うものとして46年 (弘化3)に九店 (くたな)仲間が設定された。 51年 (嘉永4)の株仲間再興時に復活,明治初期まで廻漕社・東京積合社などとして存続した。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社) この記事が気に入ったらいいね! しよう
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