新 免 無 二 斎
新免 無二 (しんめん むに、生没年不詳 新免無二斎とも)は、 戦国時代 の 剣豪 。 宮本武蔵 の実父(ないしは 二天記 等の記述により養父ともされる)。 その生涯に関しては諸説あるが、 村上源氏 流と自称した 赤松氏 の支流 新免氏 [1] の一族という。 人物 美作国 出身 [2] 。 宮本武蔵は幼少期、無二の養子となったとされる [3] 。 武蔵の養子 伊織 が、 承応 3年( 1654年 )に記した「新免武蔵玄信二天居士碑」( 小倉碑文 )には、武蔵の父・新免無二は 十手術 の 兵法家 で、 室町幕府 将軍 ・ 足利義昭 に召され、 将軍家 師範 で 扶桑 第一兵術者の号を持つ吉岡某と試合をし、一度は吉岡が勝利し、二度は無二が勝利したので日下無双兵法術者の号を賜ったと記されている。
新免無二斎が武蔵の養父であることは、『二天記』などの編纂物に記されています。 一般的には無二斎として知られていますが、藤原一真(ふじわらかずま)などと自署した史料もあります。 天正六年(1578)と推定される11月22日付羽柴秀吉書状(『新免文書』)では、秀吉は新免宗貫(しんめんむねつら)に対して吉野郡(美作)・八頭郡(因幡)・佐用郡(播磨)を与える旨の織田信長朱印状を準備したことを報告しています。 新免氏の本拠は吉野郡ですが、佐用郡と八頭郡は隣国ながら陸続きだったので、新免氏はそれなりの領地を賜ったことになります。 この時、宗貫の使者だったのが無二斎で、武蔵の父になります。 史料には「御同名無二斎殿」とあるので、無二斎が新免姓だったのは確かです。
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