大乗 戒壇
法然 は久安三年(一一四七)一五歳のとき、 比叡山 のこの 大乗戒壇 院において 黒谷 の 叡空 より戒法を伝受した。 【資料】『醍醐本』、『九巻伝』一、『四十八巻伝』三 【参考】平川彰『原始仏教の研究』(春秋社、一九六四)、道端良秀『中国仏教史全集』七(書苑、一九八五)、恵谷隆戒『改訂円頓戒概論』(大東出版社、一九七九) 【参照項目】 授戒・受戒 、 円頓戒 【執筆者:田中芳道】 浄土宗の宗学,宗史,伝法,布教,法式,詠唱,仏教語,宗教,哲学,思想,史学,習俗,民間信仰,仏教美術,経典,書名,人名,寺名,地名,仏,菩薩,組織,成句などから9100項目の語彙を収録した大辞典。
大乗戒壇 (読み)だいじょうかいだん 精選版 日本国語大辞典 「大乗戒壇」の意味・読み・例文・類語 だいじょう‐かいだん【大乗戒壇】 〘名〙 仏語 。 大乗戒 を授けるための 作法 を行なう 場所 。 ※ 文徳実録 ‐天安二年(858)八月戊戌「 最澄 上 下 建 二 大乗 戒壇 一 之奏 上 」 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 山川 日本史小辞典 改訂新版 「大乗戒壇」の解説 大乗戒壇 だいじょうかいだん 大乗戒を授与する 壇場 。 765年,中国の大興善寺に設けられた戒壇の名にちなみ方等 (ほうどう)戒壇ともいう。 とくに最澄が設置をめざした戒壇 ( 円頓 (えんどん)戒壇とも)のことをいう。
沖本克己は破戒の大きな屈曲点として、 最澄 による大乗戒壇設立と明治政府が肉食妻帯が許した事の2点を挙げるが、一方で破戒の原因はそうした事件ではなく、日本仏教に一貫して戒律を軽視する流れがあり、それらの根幹は日本仏教を支え利用した人々とそれを可能にした日本文化と日本人の体質であると指摘している [3] 。 松尾剛次 は、そうした中で戒律復興を主張する 叡尊 らや無戒を主張する 親鸞 らが活躍すると共に、日本における戒律は僧侶と俗人を分かつ行動規範という本来の意味を離れ、儀礼的あるいは呪術的な役割を持つように変化してきたと指摘している [4] 。 初期仏教における戒と律 初期仏教 はインドにおけるバラモン主義(血統による身分制度)を否定する立場から生まれる。
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