法隆寺 東大門
1棟 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内 重文指定年月日:19040218 国宝指定年月日:19521122 法隆寺 国宝 法隆寺東大門 一棟 法隆寺西院伽藍の東面築地に開く門で、これを抜けさらに東に進むと、夢殿を中心とする東院伽藍に達する。 昭和九年に行われた解体修理のさい、部材から多くの番付墨書が発見され、それでみるともともとはおそらく南面していた門で、平安時代末ごろ現在地に移築されたことがされたことがわかった。 もとの位置は明確ではないが、旧南大門に連なる寺域の南面築地で、現在の食堂・細殿の真南にあたる位置、つまり当時の大衆院の表門にあたるのではないかとする説が有力である。 門の形式は、桁行を三間に分かち、棟通り中央間に扉を吊り、前後に八本の控柱を並べる一般的な八脚門である。
大講堂 | 聖徳宗総本山 法隆寺. 法隆寺トップ. 法隆寺伽藍. 大講堂. 金堂と五重塔の北側に立つ間口九間の大講堂は、元は北側の回廊の外に独立して建っていましたが延長3年(925)に焼失し、正暦元年(990)ほぼ元の規模と同じ大きさの堂々とした姿に再建さ
法隆寺・東大門は「三棟造り (みつむねづくり)」という奈良時代の建築技法で建立されております。 少し聴き慣れませんが「三棟造り」とは門の前後に屋根があり、その上にさらに大屋根を被せる形の建築構造になります。 手前の間口にも三角屋根があり奥の間口にも三角屋根が乗る
(鎌倉時代 重要文化財) 伝法堂は聖武天皇の夫人でありました橘古那可智の住宅を仏堂に改造したもので、当時のお堂としてはめずらしく床が板張りとなっています。 堂内には三組の乾漆阿弥陀三尊像(奈良時代)をはじめ多数の仏像が安置されています。 (奈良時代 国宝) この鐘楼は袴腰(はかまごし)と呼ばれる形式の鎌倉時代の建物で、内部には「中宮寺」と陰刻された奈良時代の梵鐘(ぼんしょう)が吊るされています。 聖徳太子の等身像と伝えられる救世観音像は、行信が夢殿建立のときに本尊として迎えた霊像です。 楠の一木造りで漆箔が施され、長く秘仏として厳重に奉安されてきたために金銅仏と見まがうような輝きをみせています。 (飛鳥時代 国宝)
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