清宮 貴子
島津 貴子 (しまづ たかこ、 1939年 〈 昭和 14年〉 3月2日 - )は、 日本 の元 皇族 。 島津久永 の 妻 。 勲等 は 勲一等 。 皇籍離脱 前の 身位 は 内親王 で、 皇室典範 における 敬称 は 殿下 。 旧名は、 貴子内親王 (たかこないしんのう)、 諱 は 貴子 、 御称号 は 清宮 、 お印 は 橘 [1] であった。 昭和天皇 と 香淳皇后 の第5 皇女子 (第7子、末子)。 第126代天皇・ 徳仁 ( 今上天皇 )と 秋篠宮文仁親王 の叔母。 第125代天皇・ 明仁 ( 上皇 )と 常陸宮正仁親王 の妹。 略歴 1940年(昭和15年)3月頃、 雛祭り を祝う 香淳皇后 と清宮(中央)、 照宮 (右)、 孝宮 の姉2人(左)
清宮貴子内親王殿下 昭和44年10月10日 11日 三笠宮崇仁親王殿下 (辺津宮、中津宮、沖津宮) 昭和50年10月25日 三笠宮崇仁親王殿下 同百合子妃殿下 昭和58年 5月15日 皇太子殿下 同妃殿下 昭和61年 7月19日 礼宮文仁親王殿下
レコード鑑賞を楽しんでいるのは、昭和天皇と香淳皇后の第5皇女で、末っ子として両陛下の愛情を一身に集めた清宮貴子さまです。 この映像は1959年、学習院大学に在学中の20歳の清宮さまです。 1年前から、料理、生花、洋裁など花嫁修業をしていたと当時の新聞で伝えられています。 2年ほど前から結婚相手を選考していた宮内庁でした
久邇宮 家出身の生まれながらの 皇族 であり、誕生から 昭和天皇 の 践祚 以前は、名と 身位 は「 良子 女王 (ながこにょおう)」と称され、 皇室典範 における敬称は「 殿下 」であった。 1924年 ( 大正 13年) 1月26日 に 摂政宮 皇太子裕仁親王(のち昭和天皇)と成婚し [1] 、 2男5女 を儲けた。 1926年 (大正15年/ 昭和 元年) 12月25日 、 大正天皇 の崩御及び昭和天皇の 践祚 に伴い、皇后に冊立された。 1989年 (昭和64年) 1月7日 に昭和天皇が崩御し、第1皇男子の 皇太子 明仁 親王( 上皇 )が第125代天皇に即位し、その妃 美智子 が立后して皇后となったことに伴い、自身は 皇太后 となった。
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